日本におけるハコミトレーニングの一期生(1998年)として知り合い、ハコミのなかで育ち、ハコミとロンを愛する私たちです。ハコミをベースにしながら、杉並区と府中市で個人セッション中心に活動しています。2011年 年明けに、私たちは、新たに二人でグループを作り、いろいろなワークショップを企画してきました。コンセプトは『愉しいからだ・静かなこころ』です。心と体の両面から自分自身と仲良くなるようなワークショップを企画しています。
『りふぁじゅう』って何語?
グループ名をどうするか二人でとても悩みました。やわらかくて、暖かくて、静かで、でも躍動感や生き生きした感じを表現したいね、と欲張っていました。でもいい言葉が見つからず、困りきった時、どういうわけか、ある自閉症の女の子が言っていた言葉がふと思い出されました。
YUMIが通園施設で出会った5歳のAちゃんは、朝出会いがしらや、活動の途中でも、よく『リファジュー』と言っていました。不思議に思って、Aちゃんに『りふぁじゅう』ってどういう意味?と聞くと、Aちゃんは「会って嬉しいからリファジュー、歌って楽しいからリファジュー、気持のよい風が吹いたらリファジュー。そういう時、先生はなんて言うの?」と逆に聞かれました。「えっ?!そんなのない!」と言ったとたん、「いや確かにそういう言葉があったような」気がしました。それって魂が喜んでいるっていることだよね。そんなことが頭のなかを駆け巡っていました。
電話で一部始終を話すとKUMIKOは 「それ、いい!」と一言。その瞬間グループ名が決定しました。
『りふぁじゅう』の活動
★ KUMIKO がやりたいこと
からだとこころの繋がりは、とても不思議です。あるワークのとき、その人の希望で、私は彼女の身体を後ろからギュッと抱きしめたことがありました。”おかあさ~ん ! ”と彼女が泣きながら叫んだとき…彼女の持病だった心臓の痛みが消えたことがあります。私が体験したそれらの事例は、存在自らのなかに自分を癒す力があることを教えてくれました。目を見張るような生命の働きには心を奪われます。さきの見えない不安な時代ですが、私たちの存在の深いところにある生命の輝きと繋がりたい。その力を愛する人たちと、共有したいと思います。
心が自由になると、
からだに変化がおこる。
からだを解き放つと、
心も動き始める。
苦しみや悲しみの
底から力を汲み上げ、
生命のダンスを
一緒に楽しみましょう。
★YUMIのやりたいこと
よい仕事をするためには、私たち自身の心が元気でいなくちゃ!そのために自分たちが元気になるようなワークショップをやりたいね、、と久美子さんと話をしていて、あっという間にグループ結成、一気にワークショップの企画へとなだれ込みました。あれこれ一緒に考えるだけで、どんどん夢がふくらみ、元気が出てきました。
私たちは長生きした分、随分と素敵な出会いがありました。こんな素敵な人がこんなことやっているよ、とお伝えしたい方がたくさんいます。『りふぁじゅう』のワークショップでは、直接ハコミを学んでいるわけではないけれど、ハコミのやろうとしていることと共通するところがある、心と体に関することをされている素敵な方をご紹介したいと思っています。
私のテーマは、「つながること」そして「元気になる」ことです。
<私たちの紹介>
★KUMIKOのページ
私はこどもの頃から、イメージのなかで踊っている自分のからだに気づいていた。いつも、くるくると愉しげに…踊っていた。私のからだは、いつも教えてくれた。息が詰まっているよ、不自由だよ、我慢しているよ、と…その感覚を、はっきり伝えてくれた。
思春期のバレリーナになる夢は淡く消え去ったが( 戦後間もない日本は復興途上にあり。) 、“民衆のなかで、民衆とともに演劇を創る“という旗印を掲げていた劇団『新制作座』の公演に涙が止まらず、両親の反対を押し切って、九州から上京した。
そして 15 年間、日本中の町や村を駆け巡り、ブラジルの日系移民の人たちと公演を組織して、生きていることの実感を確かめ合った。
そんな私が、いまハコミセラピストとして仕事をしている。ここにくるまで、ほんとうにいろんなことがあった。自分の人生の挫折と弟の自死が、私を新しい世界へと導いた。私は自分自身のもつれた心の謎を解くために「心理学」や「セラピー」を学び続けたが、いま思うと、そんなときも「踊っているこども」は、私のなかに生きていたのだ。
どう生きるか…模索していた50 歳のとき、シュタイナーの「オイリュトミー」に出会った。それ以来 、宇宙とつながるダンス ( 真・善・美のリズム ) は、私を魅了し…その後 20年間、 困難な現実から自分を飛翔させてくれる力となった。
2011年 1 月の新月の宵、友人優美さんとハコミユニット『りふぁじゅう』を立ち上げた。それから、私は愉しい。版画家小田まゆみさんが描いた “ 風神 ” の女神 のイメージ( オレンジ色の童女が風のなかを走っているような… )を突然思い出し…私の心は熱くなった。 そして「愉しいからだ・静かなこころ」という言葉が心に浮かんだ。なにかが始まる予感…。
私のなかの「踊っているこども」はみんなと一緒に踊りたがっている。
ハコミ公認ティーチャー。平成 13 年から『さいとうクリニック』( 家族機能研究所 斎藤學主宰 ) で「ハコミセラピーグループ」を担当。「ハコミ」ワークショップのファシリテーター、高田馬場「フラワーシード・セラピールーム」を開設。その後、西荻窪ハコミセラピールームに移り、個人セッションをしている。
2歳、3歳? それとも4歳? もう随分小さいころから、自分みたいダメな子は生きている価値がないと思っていたようだ。トランプのポーカーのカードの全取っかえみたいに、私も100%全部取り替えて別の自分になりたいと思い、どうやったら変われるか、とよく考えていた。
後々、「私が生まれると母の重荷になるから私は生まれないほうがいい」とか、「助けたいのに私には何もできない」など、そういう思い込みがあったのかもしれないと思わせる体験を何回かして、とても納得したことがある。
忘れもしない高校2年倫社の最初の授業で、先生が3つの同心円を描き、その中に内側から「気質→性格→パーソナリティー」と書き込み、「気質は全く変わらず、性格もほとんどかわらない。せいぜいパーソナリティが少し変わるぐらい」という説明。100%変わる方法を何年も探していた私は、ガーンとなって、その後のことは真っ白で何も覚えていないぐらいショックだった。
とはいっても、人には悩んでいるとは見えなかったのだろう。同級生に「いつも明るく、誰とでも話せていいなあ」と言われたりした。それは嬉しいことではあるものの、人にはわからないんだなあ、、と自分の外側と内側のギャップを感じたことも思い出す。
その後、多くの出会いに恵まれ、心理学やカウンセリングを勉強する機会もいただき、その延長線上で抱っこ法と出会う。通園施設で仕事をしていた私にとって、関わりの難しい自閉症の子供たちを理解する上で、また具体的なやりとりにおいても抱っこ法は大きな助けだった。また、我が子の子育てにおいても、抱っこ法を知らなかったらどうなっていたかと思う。
ハコミも実は抱っこ法でお母さん自身のケアの必要性から始めたのだ。やり始めると、仕事よりも、わが子の子育てで中断していた自分探しの再開となり、とっぷり浸かった。封印していたいろいろな自分の気持ちと出会い、100%全部取り替えたい自分が、だんだんに今の自分も悪くないなあと思えるようになり、自分を好きになっていった。
現在は、抱っこ法、抱っこ法から発展した大人の癒しの「天心」、そしてハコミをベースにして、保育園の巡回相談、通園施設でのお母さんの心のケア、抱っこ法の研修、ハコミのワークショップ、子育て支援関係の講演、知的障がい関係職員向けの研修などを行っている。また、心の相談室「とうげのちゃや」で子育て・発達等の個別相談、目白・府中でハコミの個人セッションをしている。
⇒目白・府中ハコミセラピールーム